何を見てきたか

鮎原人

2014年01月23日 14:43



鮎釣りで心が真空になること

入れ掛かりの時しかり

しばらく当たりが遠のきつつも、流れと一体となり、水面の反射光が

あたかも臨死体験の光の園がごとく、温かく、安らかに感じられるときも

しかし心は

狩猟民族だった頃の血なまぐさくいきり立った、しかし生きることに正直な、どうしようもなく本能的な原色の裸体をさらけ出し

駆り立てた心は

現代の釣りにおいて

若干の満足と、多くの渇望と、自然、神?の温かい抱擁に傷を癒やされた錯覚・自己陶酔とに邪魔をされ

その赴くまま、感じるままの、素朴な幸せを感じられているのであろうか

  (誰かがフリーのSEは、漁師みたいなもんだと言った。不漁なら、食い上げだ。)


用意された環境、飼い慣らされた魚

そうでないプリミティブな自然、完全野生のコンディションに一度は出会いたいという思い

疑似体験はできる

だけれどもそれはバーチャルである

家に籠もって仮想ゲームに興じるオタクも、用意された疑似自然に興じる釣りも大差はない

要するに、手つかずの生を感じたいのだ

  (かつて開高健が言った。先進国ほど自然が残る。途上国は自然保護の概念が無いから失うまで気がつかない。さて日本は。。)


いくら文明が発達しようとも、巨大太陽フレア一つで破壊される電子情報に支えられた現代は

担保に担保を重ね、あたかも何重もの安全装置を身にまとったかのようなデリバティブ

リーマンショック時のサブプライムローンのように、価値が変動関数だと気がついたとき

簡単に吹っ飛ぶのだ

そして石器の価値に気がつく

  (金持ちは本当は金を持っていないのかもしれない。ペイオフになれば誰でもわかる)


それにしてもイヤになるのは、ふとしたことで予定をキャンセルしてしまい、理由を仕事上のトラブルだと言い訳して

ブログなど書いている自分である。

  (こういう時に限って、歯が痛む。根元まで痛んで目の奥も痛い。幼少時八重歯を無理矢理抜かれて支えを失った前歯が今になってぐらついてきた、虫歯でもないのに。あのブラジル帰りの歯医者を恨む)


さて今シーズンはどうなるのだろう。

おそらく、今までに無い波乱が待ち受けている事は確実だ。

それは期待、反期待のどちらの意味でも。

最近、ナシーム・ニコラス・タレブの著作ばかり読んでいるから、表現が似てきたな^^;;

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