椿、朽ちて行く別荘、鯉?、雁、猫、龍

鮎原人

2014年03月29日 06:19

多分「は行」の音だろう。

でも、「は、ひ、ふ、へ、ほ」のどれでもない、未知の「は行」音がした。
「ぷっ、」とも「ぽっ、」とも、擬音マニアなら悩むであろう、例えようのない音。

長さは全休符のあと八分音符一つ分、そのあと八分休符、四分休符、二分休符で、合計二小節ぐらいの曲だった。
音の前の静けさも音の内に感じられるほど、それは印象的にハッキリと空間を伝わった。

テンポは脈拍くらいか。音の継続時間はその脈拍の整数分の一。
音質も、もしかすると脈音に近かったのかもしれない。
この数々のシンクロ度!

それを頭上に感じたかと思うと、「生」の終わりなのか、「死」の始まりなのか、いやいやきっと「輪廻」への旅立ちの瞬間だと後講釈で思う。
ただその瞬間の、言葉にならない印象だけは今でも鮮明だ。

足下から聞こえる音の方は、凡庸だった。



椿。


高校のリーダーで習ったときはカメリアだったから、今でも英名camelliaの筈だ。
カメリアダイヤモンドはファラ・フォーセットが宣伝してたと思う。このcamelliaなのか?
つまらないことが勝手に頭に浮かび。

そのテキストでは椿の花が、武士の世界では不吉なものとされていると解説。
なんでも、斬られた首がポトリと落ちるように、その花ひらを徐々に散らすのではなく、一気に、ある種の衝撃を纏って落下する。

切腹の介錯ではそう見えるんだろうと、このとき以来、「椿=斬られた首」と刷り込まれてしまった多感な頃。
せめて萬屋錦之助の拝一刀の手で胴太貫で、露と消えるのがせめてもの手向けかと、時代錯誤、混濁記憶の夢のように、変に納得して「うん、うん。」と頷く。

だけど今日の感じ方は趣が異なった。
あれはとても格好のいい終わり方なんだと。
死ぬ直前まで死を予感させず、突然生の向こう側に消えるような。
だれにも迷惑をかけず、有り体に言えばポックリ。
望むべき姿だ。

直前まで普通にしてた大滝詠一が、最後に「ママ、ありがとう。」と言って息絶えた。
釈迦は自分の死期を知っていた、決められたと聞く。
西行はその希望より一日だけズレた。
何も修行をしていない自分は、天に任せるのみだ。
まだまだかなり先のことになると思うが。。

椿の印象、今日を境に全く変わった。
もう斬首の夢は見ないだろう。

アスファルトの上では可哀想だから、
抱き上げて、さっきまで自分の一部だった根元に帰って頂いた。。



歩を進めると、かつては高級別荘が並んでいたあたりに、一棟だけ残った洋館風。
近づいてみると、取り壊し中だった。
空は、雨上がりの澄んだ空気を雑木林に届けていた。


守山区の小幡緑地は、よく散歩するコースだ。
宅地造成が進む名古屋西部では唯一保護されている地区。
農政局に感謝したい。


池のほとりに出ると、水際でざわつく音。
鳥ではない。多分コイの恋の季節なんだろう。

北に帰りそびれたのか、若々しい羽音が聞こえた。
これからは春の渡り鳥の季節。
野鳥愛好家のバズーカレンズも立ち並ぶ風景になる。
ここは野鳥の種類が多い緑地だ。



こいつが居た。
「ニャー」なのか「mew」なのか、ここは日本だから前者なのだろう。
小泉今日子は「夜明けのmew」 日本なのにmew?

寄ってきたんで、にゃぁと言うと、すかさずニヤーと返す。
mewと返し直すと、ミャウと返す。

これって、ねこミュニケーションになってる?

三回ほど繰り返すと、更に寄ってきて、、

急に避けるように方向を変え、
行ってしまった。
俺は敵でも味方でもなく、急に立木の一種にでもなったのだろう。
ネコのこういう態度は、好きだ。


緑地を抜けると、宅地制限区域の外はいきなりこんな感じ。
ま、このギャップも刺激の内か。。

右手の広大な荒れ地は、、しばらく見ないうちに、宅地になってた。

坂を下ると、この看板

龍?

違和感。

龍と言えば、八じゃなくて 「九」 でしょう!!w

急に九頭竜で鮎釣りがしたくなった。

まだ3ヶ月ある。
待ち遠しい。
竿も欲しい。
金も欲しい。
暇が欲しい。

10数年振りにサラリーマン生活に戻ると、
自由がないなぁ、我がままな自由が。
でもその代わり、何かもある。
何だろうなぁ、? そのうち気がつく、か。

さ、ビジネスの世界に戻りましょ。


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