震災直後に鮎原人が考えてたこと
さきほど、あゆさんから
コメント(記事の最後の方のコメント)頂きました。
お陰で、震災直後、鮎原人が考えていたことを、
自分で改めて再確認できました。
最近、原発問題で疲れてしまってますが、
当時自分が考えていた素直な気持ちを
自分自身で確認することで、
元気をだして前を向いて進もうと、
改めて思えました。
あゆさん、ありがとう。
◇
以下、3/15日(11日前)のメールを紹介します。
前略
○○○○さん
鮎原人こと、□□□□です。
忘れないうちに電話番号を書いときます
090-****-****
--
あゆさんも、私と同様のお気持ちだったこと、
大変嬉しく思います。
でも、災害はまだ終わっていません。
状況、感情、過去、将来を語るには早すぎます。
原発一つとっても、現在進行形で状況が悪化しています。
命を賭けて対策に当たっている人々のすこしでも手助けになるよう、
真剣に考え続けなきゃなりません。
私も器用な方なので、現地に行きたい気持ちでいっぱいです。
しかし、溢れる仕事をほっぽり出していくことも出来ず、
サラリーマンのような有給休暇も一切無い現状では、
ブログで叫び、義援金を寄付するしかありません。
まだ将来を語るなと言っておきながら、
これからの日本に思いを馳せることが多いです。
それは、
災害でへこたれてばかり居られない。
復興に向けて、GDPを減らさないよう、残った国民が必死で活動することが大事。
要するに、哀悼の気持ちの問題ではなく、実質的に何が支援できるかです。
同情するなら金をくれ! は、間違っていません。
↑これをブログで言うと炎上する恐れがあるので控えてますが。
復興には10年以上かかるでしょう。
その復興も、元通りにはけっしてならないでしょう。
だからなおさら、我が国の将来設計を明確にして、
この国難を次の再生・発展につなげなければなりません。
その遠大な目標を語れる政治家が欲しいです。
かつて、関東大震災あとに東京再生都市計画を提案し主導した後藤新平という政
治家が居ました。
名古屋でも、先の大戦後の焼け野原から、ダイナミックな都市計画につなげた実
績があります。
いまこのような論陣を張ることは、緊急事態にあるまじき態度で控えたいです
が、鮎原人の義援金支援態度が基本線で固まっている以上、残った頭脳は次のこ
とを考えています。
いずれ気の利いた評論家等が言い出す筈でしょう。
その時に、やつらの鼻っ柱を引っ張っていけるだけの、発想の準備をしておきた
いものです。
とはいえ、これは一時の心の揺れに過ぎません。
日常は、テレビに釘付けで、国の、国民の現状と将来を憂い、涙を浮かべる毎日
です。
この惨状が、名古屋で起こっていても不思議ではなかったので。
うちには息子が2人居ます。30年以内に東海地震が起きる確率は87%だと、ど
こかに書いてました。彼らが60年生きるとすればその確率は100%近いかも
しれません。だから、全く他人ごとではないのです。
では。
大前研一氏が建設的な提案をしています。
元々が原子力設計技術者で、そのご世界的コンサルタントになった彼です。
傾聴に値します。
みんなの力で、東日本大震災の復興支援をしよう!
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