分かっていたことだが
◇2011/06/27 追記
思うに、古の戦争の多くは食糧問題だった。
その後資源争奪戦になり、近代戦争はエネルギー(化石エネルギー)争奪が要因に。
太平洋戦争も、アメリカが日本をエネルギー封鎖したことが直接の要因。
そもそもエネルギーは現代文明をの成長を支える基盤なのだが、
その成長とは人類が開闢のころから持ち得た性質ではない。
すくなくとも産業革命以降に登場した経済観念である。
それまでの農耕社会では、今のような経済成長とは無縁の人類文明であった。
であるならば、経済成長しないと困るとか、不便になると困るとか言う不安は、
ここ100年前後に醸成された社会感情である。
逆に言えば、進歩しなくても、成長しなくても、産業革命以前の人類は十分幸福だったし、
心豊かな人生を送っていたのではないか。
彼らの遺した芸術、工芸を見れば十分分かる。
結局極論すれば、成長しないと社会は崩壊する、というのはデマである。
要は人一人ひとりの心の持ち様、社会が向かう(敢えて進むとは言わない)方向性だけの話だ。
以前このブログで、「そんな事言って、あなたは退歩を許容できるんですか?」というコメントを頂いたが、
今改めて思う。私の考えは間違ってないと。
人間の幸せなんて些細なことなのだ。
生まれ育った自然に囲まれ、家族愛を育み、子孫を残し、またその土に還る。
それだけだ。
なのにF1避難区域に人たちは、恐らくその人生のうちに故郷には帰れないかもしれない。
たとえ帰ったとしても、発がんの恐怖と戦う毎日が待っている。
進むも退くも、悲しい現実。。。だから一層、原発人災が憎らしいのである。
あなたにおススメの記事
関連記事